横田さん
1/25(土)。横田さんのお通夜に行ってきたという方々がご来店。横田さんの死が本当のことなんだと、少し実感する。横田さんが結婚前の島田時代に東京で一緒に音楽をされていた方々で、シマちゃんシマちゃんと、皆さんで横田さんの思い出話に花を咲かせていた。2005年、横田さんは「Carried on the Wind」というCDを作った。全曲横田さんの作曲で、東京からジャズミュージシャンを呼んで村上のふれあいセンターで録音した。録音を見に来ないかと誘っていただいたので、お言葉に甘えてのこのこ見に行くと、広いホールにわたししかおらず、こんなところにいてもいいのかと緊張しながらピアノ・ベース・パーカッションのトリオ演奏を聴いたものだった。ジャズというより、現代音楽という風な、美しい前衛的な音楽。緊張と至福の入り混じった気持ちで過ごしたひと時が、もうだいぶ前のことのように思える。せっかく東京から来られたのだからぜひ聴いてもらいたいと思い、そのCDを久しぶりに楽屋でかけた。すると、東京から来られたご一行が、すぐにそれと気づいた。恥ずかしいかな、そのCDの演奏者だった。「シマちゃんの作る曲はむずかしくてね〜」と笑うピアニストの仲野真世さん。東京時代の横田さんの話を聞き、ますます横田さんのベースが聴きたくなる。
1/26(日)。横田さんの告別式。やはり本当のことだとほぼ確信。蝶ネクタイ姿のりりしい遺影を見て、しばし呆然となる。さまざまな思い出がぐるぐると巡ってしかたないが、最初の出会いからして強烈なインパクトがあった。楽屋を始めて少ししたころ、ふらりと立ち寄ってくれたのが最初だった。2001年ころだったと思う。店に飾ってあったアップライトのベースを手に取って、「弦高たかいね〜」と言いながらボンボンと音を出す横田さん。このベースはこんなに音が鳴るものだったんだと驚いた。それからまもない2002年1月6日、伴田裕さんとともに開いてくれたライブが、楽屋初のジャズライブとなった。初めて横田さんのベースを聴いたとき、村上にもこんなすごいジャズマンがいたのかと、心底うれしくなった。その後も県内外の多くのジャズマンを紹介してくれて、楽屋でのジャズライブが定着したのは、まぎれもなく横田さんのおかげであり、辛島文雄さんや坂田明さんなど、日本の一流ジャズマンを数多く村上に呼んで、村上の人たちが素晴らしいジャズを聴くことができたのも、横田さんの人脈があったからこそだ。東京から帰ってきてからは新潟のジャズ界でも大きな存在であり、新潟のジャズ喫茶で村上から来たと言うと「ああ、横田さんのいる村上ね」と言われたときは、何だか勝手に誇らしげな気持ちになったものだった。
横田さんは、うちの猫たち、レオとティーガーの命の恩人でもある。横田さんの声かけがなければ、わたしたちはレオとティーガーと出会うことはなく、彼らも保健所で殺されていたかもしれない。横田さんが生まれて間もない彼らを我が家に連れてきてくれて、別れを惜しんでいたのが、もう6年前になる。レオとティーガーに横田さんが亡くなったことを伝えても、当然のように何の反応もなかった。成長した彼らの姿を横田さんに見てもらいたかった。
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