びすとろ驛舎
1/11(土)。7日に急逝した「びすとろ驛舎(えき)」のママさんの告別式。あんなに元気だった人が亡くなるというのは信じられない。
しばらく離れていた村上に帰ってきた1998年ころから、ちょくちょく寄るようになったびすとろ驛舎。スナックでも居酒屋でもない、村上にはなかなかない独特の雰囲気を持つ小さな飲み屋で、「びすとろ」と呼ばれて、地元民だけでなくALT(小中高の英語助手)の皆さんにも親しまれていた。小柄で快活なママさんが1人で切り盛りしていて、ママさんのお客との距離感がちょうどよく、とても居心地が良かった。わたしはそこで、ボトルごと出されるジンを炭酸で割って飲んだ。何杯飲んだかを自己申告するのだが、計算したとは思えない安値に毎回申し訳ない気持ちになった。
びすとろの場所は、まさに村上駅前、瀬波タクシーのとなりだった。楽屋を瀬波タクシービルの2階に作ると決めたわたしは、びすとろの目と鼻の先に似たような店を開くことをどうママさんに言えばいいのか悩んだ。着工にかかる少し前、思い切って打ち明けると、それはいい!と笑顔で喜んでくれたママさん。商売ガタキになんかなりっこない。かえってお客さんが回るようになるから、駅前に店が増えるのは大歓迎と言うママさんが、わたしには観音様のように思えた。楽屋開店の日、ママさんは果物とジンのボトルが入ったカゴをお祝いに持ってきてくれた。その後も「この人よろしくね」とお客さんを連れてきてくれたり、びすとろのお客さんも楽屋のお客さんとなってくれて、「下の店(びすとろ)」「上の店(楽屋)」と呼ばれたりと、大先輩のびすとろに生まれたての楽屋はずっとお世話になっていた。
びすとろを閉めると聞いたときはショックだったが、ママさんは変わらず元気で、長年開け続けたびすとろの幕をさばさばと閉じる姿は、何だかかっこよくすら感じた。ここ何年か会っていなかったが、6日の晩に突然倒れ、翌日眠るように息を引き取ったという。倒れる日も日中元気に車で買い物に出かけていたというから、実にママさんらしい、あっという間のクールな幕引きだったと思う。
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