新潟シティマラソン
10/10(日)。新潟シティマラソンに参加。最悪のコンディションの中、初めてフルマラソンのスタートラインに立つ。完走は不可能ということは何日も前から確定していたが、とにかく走れるところまでやってみようと思い、参加を決めた。9日夜、体調もままならぬ状態で何とか開けた楽屋を、途中からアンニャとタッキーくんにお願いして電車で新潟入り。幸か不幸かまったく飲む気も起こらず、酒場を素通りし、着後早々床についたが、なかなか眠れずあまり前泊の意味がなかった。アンニャ&タッキーくん、本当にありがとう。7時陸上競技場着。場内アナウンスによると、参加者は9000人。当然のことながら会場は人の海。多くのランナーがアップの走りをする中、眠くて腹のいたいわたしは何なのだとうなだれながら、村上からの仲間が着くのを待つ。8時半、スタート。号砲がなっても人が多すぎて前へ進むことができない。わたしがスタートゲートを通過したのは、号砲から7分以上経ってからだった。が、そんなことは完走しなければまったく関係ない。わたしはペースをできるだけ抑えてゆっくり走った。西堀通、柾谷小路、万代橋と、普段なかなか走ることができないコースが今回の新しい大会の大きな特徴のひとつだが、たしかに走っていて気持ちよく、楽しかった。5km地点で時計を見ると、すでに37分が経過している。42kmを5時間以内で完走可能な7分/kmペースがすでに守られていない。このままではじき制限時間オーバーで関門でひっかかる。しかしペースを上げる気力も起きず、そのままゆっくり走り続ける。14kmあたりで、収容バスが横につき、「乗りますか?」と言うので、「もう少し行きたいのですが・・」とお断り。もうその時点で関門閉鎖時間は過ぎていた。せめてハーフ地点まで行きたいと思ったが、15km地点で「続けるならゼッケンはずして走って下さいね」と言われ、結局そこでやめることにした。15km走るのに1時間50分。何とも遅いペースで、しかも42kmの半分も走れなかった。収容されたバスの中で、くやしくも何だかほっとした気持ちになった。仲間が次々にゴールするのを競技場で目のあたりにしながら、わたしも早くこんなふうに完走したいと強く思った。今回は体調管理ミスが最大の敗因だが、本当のマラソンというのは大会の何日も前から始まっているのだということを思い知っただけでも収穫だった。一番楽しみにしていた打ち上げも参加できず、早々と村上にもどり、夜は楽屋を通常通り開く。気持ちは晴れやかではなかったが、多くのお客さんが来てくれて、とても救われた気がした。
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