2/5,6,7,8京都ドキュメント

2/5(土)。京都木津川マラソンに参加すべく、楽屋を茶さんタッキーくんにお願いして、21時過ぎの上り列車に乗る。新潟で乗り換えて、急行「きたぐに」B寝台下。初めて乗る「きたぐに」の寝台は、思ったより高さがなく、すわってくつろぐにはちょっときびしいが、寝る分にはまったく問題なくとても快適だった。アンニャはカーテンの色がすごい(こいピンク)としきりに言っていた。今まで乗ったことのある寝台がすべて横向き(線路のまくら木と平行)なのに対して、「きたぐに」の寝台はたて向きで、列車が足の向けた方へ進むのが何だか新鮮だった。寝台で飲まないというのは初めてのことで少しつらかったが、翌日のことを考えて何とか我慢して、おとなしく就寝。2/6(日)。7時少し前、予定より30分ほど遅れて京都着。京都駅内の喫茶店であまりおいしくない朝食をとり、近鉄電車の急行で約30分南下し、新田辺。木津川マラソン開催場所の最寄り駅で、ここで降りるのは初めて。京田辺市はおそらく新発田くらいの規模の都市で、京都のベッドタウンという感じ。駅を出るとすぐに目に入る歓迎の張り紙やのぼりがうれしい。同じ電車にはマラソン参加者が大勢乗っていて、駅からまったく迷うことなく会場である木津川河川敷の運動公園に到着。「あと100m」、「あと夢の50m」という立て札。果たしてここまでたどり着けるのだろうか・・・と心配になる。とはいえ天気は快晴、雪などまったくなく、久しぶりに外で走れることに楽しみの方が大きかった。その時点では。参加申込者は全種目(3km、5km、ハーフ、フル)あわせて5391人とのこと。パンフレットを見ると、フルマラソンの選手だけでも2686人エントリーしている。受付付近に「特別賞」と書かれた立て札があり、見てみると遠くからの参加者に贈られる「遠来賞」という賞があるらしい。村上もけっこう遠いぞ!とのぞきこむと、北は福島までだった。北は北海道、南は大分からも参加者があり、人気の大会であることがうかがえる。10時、先陣を切ってフルマラソンがスタート。といっても人間がひしめきあっているためスタート地点まではなかなかたどり着けない。じりじり歩きながら、この大会のために仕込んでおいたiPodのプレイリストをシャッフルで再生すると、まずはINUの「気い狂て」。一曲目でいきなり「ええ加減にせんと気い狂て死ぬ~」という歌もちょっとなあと思ったが、ここは京都だしまあいいやと聴きながら、号砲から約3分後、ようやくスタートゲートをくぐり、ストップウォッチスタート。土手にあがり、大行列の中で走り出す。木津川に沿っておそらく南下して約10kmで折り返し、スタート地点まで戻ってきてそのまま通過し、今度は川沿いを北上してまた10kmほど行き折り返して、スタート地点がゴールというコースらしいということを、走りながら知る。周回コースではなくてほっとする。同じコースをくりかえし回るレースはどうも好きになれない。調子はそれほど悪くない。1kmごとに表示があり、3kmずつラップをとってみたが、20kmあたりまでだいたい7分/kmで、あわよくばの目標であった5時間切りが可能なペース。iPodの選曲もよく、次から次へと好きな曲が続き(好きな曲ばかり入れたのだからあたりまえ)、しばし気持ちよく走る。しかし、結局このペースがわたしにはまだ無理があったのだと思う。半分をすぎたあたりから、ふくらはぎやももに痛みが出てきて、28kmあたりで立ち止まってマッサージやストレッチ。一番の目標だった歩かないということは守ろうと、その後も立ち止まってマッサージをしては走る、ということをくりかえしたが、一向に痛みはおさまらず、かえって痛くなるばかり。とくに右の太ももが痛みがはげしく、筋肉が切れたのかなと思ったくらい。結局もうどうにも痛みがおさまらなくなり、とうとう歩く。これはとても切ない瞬間だった。自分が情けなく思えて仕方なかった。そこからは歩いて走ってのくりかえし。肉体的にも精神的にもダメージは大きかった。36kmをすぎたあたりで、「フル6時間」のペースランナーに歩いているところを追い抜かれる。この大会では、ペース配分の目安となるようにペースランナーを配していて、3時間・3時間半・4時間・4時間半・5時間・6時間とそれぞれ3人ほどが「フル○時間」というゼッケンをつけて走っていた。わたしなどよりずっと先に折り返してきて必死な形相で駆け抜けて行った3時間のペースランナーとは対照的に、帽子につけた風船を左右にかわいらしく揺らして、会話をしながら余裕で走る壮年女子の6時間ペースランナーに先を越され、何とかこの人たちよりは先になって6時間は切りたいとまた走り出す。が、なかなか追いつけない。あんなゆっくりなペースなのについて行けないとは・・。時計を見ると、まだ6時間は切れる範囲内。あの人たちはだいぶ速いんじゃないかなと思っていたら、その先のエイドステーションですわってパンなどを食べていた。16箇所も設置されたこのエイドステーションがまたすばらしく、水・スポーツドリンク・パン・バナナ・チョコレート・クッキー・あめ・梅干しなど、豊富な品揃えでランナーの疲れと空腹をいやしていた。わたしも何箇所かでお世話になり、元気を快復させてもらった。とはいえ、終盤ではすでにもう心が折れていた。もういいと思った。早く終わってほしい。わたしが悪かった。ごめんなさい。もう勘弁して下さい。そんな気持ちだった。いや、もしかしたら口に出していたかもしれない。マラソンのこわさをあらためて思い知った。何とも暗い気持ちで走っては歩くをくりかえしていると、ようやく40kmの表示が現れる。あと2kmは走り切ろうと決心して走り出したものの、この2kmがまた長くつらかった。「あと195m」の表示を見て、少しスピードがあがる。「おかえりなさい!」「お疲れさまでした!」「よくがんばった!」というものすごい歓声に、ちょっと感動する。これが歩かずの完走だったらもっと感動は大きいんだろうなあと思いながら、何とかゴール。電光表示板の「5:53:○○」という表示が見えて、グロスタイム(号砲からの時間)でも6時間は切れたなと、少しほっとする。腕のストップウォッチでは5時間50分38秒。何はともあれ、終わってほっとした。つらかったが、また来年も来たいと思った。本当にすばらしい大会だった。手作り感にあふれていながらも、きちんとした大会運営で、ボランティアスタッフもみな親切で、沿道の応援もあたたかく、つらくも快適な42.195kmだった。今回は完全に練習不足。脚力がまだまだ42km走りきれるほどではなかった。村上で鍛えなおして、来年はぜひとも完走してから京都の街にくり出したい。と京都にくり出す電車の中で思った。夕方、京都駅前の料理屋「まそほ」。学生時代の友人夫婦しおさんいしさんとアンニャがマラソンの労をねぎらってくれ、とてもいやされる。生ビールに燗酒、自席で炭火で焼く干物の数々に炊きたての「銀シャリ」はもちろん感動ものだったが、腰を下ろして飲んで食べるという日常的な行為自体が何だかとてもありがたかった。予約していた宿、四条河原町「スーパーホテル」に入り、温泉につかる。入浴時間は限られているものの、こんなところで温泉に入れるとは思ってもいなかったので感激。宿から徒歩1分の「天下一品」京極店。学生時代よく寄った店だが、残念なことにこの日はスープがうすく、がっかりだった。疲れすぎて味覚がおかしくなっていたのかもしれないので、正常な状態でもう一度試そうと思う。しかし値段設定はとても低く、お客さんもひっきりなしに入っていたので少し安心もした。翌日の夜ゆっくり行くつもりだったが、おみやげだけ先に渡そうと思い「ろくでなし」。ちょうど1年ぶりに会う横田さんは相変わらず元気に飲んでいた。ただ、わたしがほとんど飲めず、少し語らっておいとまする。また明日ゆっくり来ますというと、翌日の月曜日は「拾得」で渋さ知らズのライブとのことで、横田さんはろくでなしにいないらしい。残念だがしかたない。拾得での渋さ知らズも非常にそそられたが、あいにく約束があり断念。それにしても日曜日に行って横田さんに会えたのはよかった。「スーパーホテル」に戻り、足にしっぷをはりまくって10時には泥眠。2/7(月)。「スーパーホテル」で朝食。格安ビジネスホテルの朝食など、どうせパンとコーヒーくらいのものだろうとたかをくくっていたら、想像以上にすばらしくびっくり仰天。種類が豊富でなかなかうまく、しかもそれが食べ放題飲み放題。新聞が何部も用意されているのもうれしい。パン3~4種、スープ2種、野菜サラダにソーセージ、フルーツにヨーグルト、シリアル。自動販売機のコーヒーや紅茶なども常に赤いランプがついており飲み放題。京都の繁華街のど真ん中という立地で温泉があり、このような朝食がついていて値段が4000円ちょっと。顧客満足度第1位というようなことがどこかに書かれていたが、それもじゅうぶん納得できる宿。「スーパーホテル」というネーミングはどうかと思うが、そんなことを気にさせないほどのサービスのよさがある。アンニャと久しぶりに京都を歩く。知恩院の三門が特別公開しているというので拝観。年をとると寺社仏閣に行きたくなると誰かが言っていたが、まだそういう気持ちはわいてこない。とはいえ、でかい三門にのぼって京都市内を一望するのはたしかに気持ちよかった。「先斗町」と書いて何で「ぽんとちょう」と読むのか、いまだにわからないが、その先斗町を歩いていて見つけた「井ふみ」で昼食。天ぷらに昼の燗酒は何とも至福。ちりめん山椒がのったご飯に赤だしのみそ汁がまたうまい。アンニャと別れ、ひとりレコードをあさろうと河原町三条「ブーツィーズ」へ向かうが、悲しいことになくなっていた。しかたなくジャズ喫茶「Jeru」を目指すも、悲しいことになくなっていた。それでは「ブルーノート」かと目指すも、悲しいことに開いていなかった。木屋町界隈をふらふら歩き回り、寺町通りへ。学生時代よく行っていた自主製作レコードの店「アビス」がまだ健在なのにうれしくなり、寄ってみる。買取値段がなかなか良心的で、学生時代に金がなくなるとCDを売って食いつないだことがなつかしく思い出される。今ではレコードはほとんどなく、CDばかりの店になっている。棚を見てみると、「スクリーモ」「グラインド」「ニュースクール」「バイキング」。何が何だかちんぷんかんぷんの品ぞろえになっており、そそくさと店を出る。中国雑貨店にて花茶のカップを仕入れる。夜、セシルさんヨーコさんアンニャとトルコ料理店「イスタンブール・サライ」。久しぶりに4人でつもる話に花を咲かせる。ヒヨコ豆のペースト「フムス」とトルコの赤ワインがうまい。セシルさんアンニャとロックバー「治外法権」。1974年からやっている京都の老舗だが、行くのは初めて。お客さんが誰もおらず、やさしいマスターがわたしたちのロック談義にあわせていろいろかけてくれて、飲めや踊れやの大盛り上がり。楽屋の半分ほどの店内で聴く良質な爆音はこの上なく気持ちよかった。アンニャと先斗町「宝屋」。友人に勧められたわりと新しいラーメン屋だが、これがとてもうまかった。と思う。天下一品と博多ラーメンのあいのこのような感じ。だったと思う。シラフできちんと食べてみたいラーメン。2/8(火)。「サンダーバード」「北越」「いなほ」と特急列車を乗り継ぎ、村上へもどる。疲れはしたが、楽しく濃密な4日間だった。7年ぶりの京都はいろいろ変わっていたが、やはりいい街だった。この木津川マラソンを2月の恒例行事にして、毎年京都に行けたらどんなにいいだろうかと思う。応援してくだすった皆さん、ありがとうございました。茶さんタッキーくん、素晴らしいヘルプをありがとうございました。
   
   
   
   

楽屋 GAKUYA

お酒とコーヒーと音楽の店【楽屋】です。 ホームページの引越しをしました。 新しいアドレスは以下の通りです。 よろしくお願いいたします。 https://ekimae-gakuya.jimdofree.com