セデック・バレ

5/27(月)。とんでもなく静かな夜。楽屋常連では貴重と言えるコアなジャズファンのセガさんがお勧めCDを持ってきてくれる。わたしがベーシストのニールス・ペデルセンが好きと知って、ミシェル・ペトルチアーニ、ケニュー・ドリューというピアニスト、それぞれとのデュオのライブ盤。とくにペトルチアーノのピアノが素晴らしい。ペデルセンのベースも抜群のうなり具合。ベースとピアノは、やはりとてもよく合う。西海岸のアルト奏者、ハル・マクシックが好きだと言う何ともマニアックなセガさん。最近はポーランドジャズの蒐集に熱心なようだ。

5/28(火)。万代シネウィンドにて、台湾映画「セデック・バレ」の第一部「太陽旗」と第二部「虹の橋」を通して観る。日本が台湾を占領していた1930年に起きた、日本人に対する地元民セデック族による武装蜂起、いわゆる「霧社事件」を史実に基づいて描いた、強烈な大作。自分たちの生活と伝統に誇りを持つ民族、セデック族の切なく悲しい歴史が、生々しく、荒々しく映し出される。「セデック・バレ」とはセデック語で「真の人」という意味で、自分たちの狩猟場を守るために闘って「真の人」になれという、映画の中でのひとつのキーワードだった。日本が侵略したアジア諸国の中でも、台湾に対する植民地政策は比較的うまく行ったと言われている。侵略がうまく行ったところでいばれたものでもないが、現在の台湾で対日感情がそう悪くないのは、きっとそうした影響もあるのかもしれない。その台湾でも、このような大規模な抗日蜂起が起きた背景には、結局は台湾でも例外ではなかった現地人に対する蔑視、支配した側のおごりと支配された側の耐えがたい屈辱感がある。山岳地帯の狩猟民族であった地元民に、「文明」を与えてあげようなどと善人ぶったところで、所詮はおためごかし。共存共栄ではなく支配という意識がある限りは、ありがたがられるはずもない。もっとも、共存共栄という意識をもってしても、先方に頼まれもしないのに踏み入ったのでは単なる不法侵入であり、「近代化」など要らぬお節介でしかない。侵略する側には、いつの時代も決まって相手がどう思うかという配慮が完全に欠落している。だからこそ、侵略してしまった側には、そうした配慮が欠落しないように過去をきちんと省みる必要と義務がある。この「霧社事件」のような史実こそ、日本でもっと周知されるべきだと思う。

楽屋 GAKUYA

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